香肌文庫 第92回 見てはいけない
鍼灸の勉強をする場合には古典を読みます。しかし二千年前に書かれた医学書ですから、読んですぐに「ああ、なるほど」というわけにはいきません。文章も漠然とした抽象的な記述がほとんどです。繰り返し読むことで後々その意味が分かってくる場合が多いのです。また臨床経験を積むほどより深い解釈ができるようになるのも抽象的記述の特徴と言えます。限られた文字数にあらゆる意味を込めるためには抽象的表現をせざるを得ないわけですが、ただ古典の書かれた時代には「真実を隠す」という風潮もあったようです。それは「独占したい」とか「マネさせない」といったケチな理由だけでなく、もっと大切なことを感じていたように思えるのです。鍼灸医学の根底には「易学」の思想が流れています。易と聞くと占いを想像してしまいますが、「森羅万象を解く学問」と言ってよいかと思います。 私は鍼灸師に成りたての頃、鍼灸をより深く理解する目的で易者の所へ習いに通っていた時期があります。あるとき易者の先生が、「ここへ来たからには運気低下だよ」と笑いながら半分マジで言われました。 自然のカラクリを知る易を学ぶことは、パンドラの箱を開けてしまうような行為だと言うのです。
話はさておき、易によると「真相」とか「本音」は陰で目立たないもの、隠れやすいものとしています。逆に「建て前」や「虚構」は目立つもの、明るみに出やすいものと教えています。
応用して考えると、本物も世間にさらされると徐々に変質していくのかもしれません。マスコミに露出し過ぎたり、流行りだすとダメになるってよくある話です。秘伝はむやみに公表しない方が壊れずに永遠のような気がします。
真相を知るとは良いことなのですが、真相は陰の気が強いため、「体に障る」ということも言えます。大発見をしたり難題が解った後で体を壊すことって意外に多いのです。また古い墓地や遺跡を掘り起こした作業員が病気になったという怪談話がありますが、これも強い陰気に触れたせいかもしれません。他人の秘密を暴露したり、コンプレックスに触れるのも同じような行為であり、いつか自分がマイナスとなります。何事も深く追求しない人の方が平和で楽しそうに過ごしているのは明らかですね。
今回は少々オカルトな内容になってしまいましたが、お話したいことは、「流行に騙されない」「人の尻穴まで覗かない」「大切な事はしまっておく」ということです。
さて、伊勢神宮が今年20年に一度の遷宮を迎えます。メインとなるのが今月行われる「遷御」で、まさに神様が引越しする祭儀です。暗闇の中、神官たちが天皇陛下ですら拝見したことがない御神体を新しい御宮に移されるのです。御神体である八咫鏡は白い布で覆われ、神官たちも直視できません。大事なものは見てはいけないのです。
第92回香肌文庫 2013.10.1