香肌文庫 第145回おまけ編 太陽の道
とここまではどこの地域にもあるご当地富士の紹介ですが、実はこの掘坂山という山は日本誕生の謎に関わってくる特別な山だったのです。
まず、この堀坂山から20㎞ほど真東へ直線を伸ばしてみると、伊勢の斎宮に当たります。
斎宮は古代に伊勢内宮の祭神である太陽神アマテラスのお世話をする皇女が住まわれた場所ですが、一説には元々伊勢の内宮があった場所とも言われています。
さらにここから海上を真東に進むと三島由紀夫の「潮騒」で有名な神島にピタリと当たるのです。神島には奇祭として有名なゲーター祭りがあるのですが、これは冬に光の弱まった太陽を復活させる儀式なのです。
今度は堀坂山から反対の真西に50㎞ほど直線を伸ばしてみると、奈良の長谷寺にこれまたピタリと当たるのです。この寺は十一面観音を本尊とする大変古い名刹ですが、ここは寺院にもかかわらず、古来から毎朝僧侶が柏手を打って太陽神アマテラスを信仰する奇妙なお寺なのです。
さらに真西へ少し進むと三輪山に当たるのですが、三輪山は古代から聖なる山として崇められ、麓の大神神社には一時的にアマテラスが祀られたことが記紀に書かれています。そして三輪山の西には三つ鳥居で有名な桧原神社があるのですが、この地は元伊勢と呼ばれ、ここも一時的にアマテラスが祀られていた場所なのです。
そしてこの桧原神社から真西の大和盆地を眺めると、眼下に箸墓古墳が見えます。箸墓は邪馬台国畿内説をとる人たちからヒミコの墓ではないかとも言われています。
そしてヒミコとは日巫女であり、その正体は太陽神アマテラスと考える歴史家もいます。
さらに真西に進んで山を越え、大阪平野を通過し、大阪湾を越えて淡路島に上陸すると、驚くなかれ、ここにも伊勢の森とか、伊勢久留麻神社なるものが存在するのです。
つまり伊勢湾に浮かぶ神島から淡路島までの海山谷の道なき約200キロの東西線上に太陽信仰やアマテラスの痕跡が点在しているのです。
ここでは比較的有名な史跡や神社だけを取り上げたのですが、細かいものまであげればまだまだあります。それどころかこの線上には古代に太陽観測を司っていた氏族の苗字を受け継ぐ人や地名までが現在も存在しているのです。そしてこの東西線は北緯34度32分に当たるのですが、このラインは真東から昇って真西に沈む春分の日の太陽の通り道となっているのです。
もちろんこの事実は私が発見したのではありません。奈良で仏像や大和の風景を専門に撮影している写真家の小川光三氏が、写真家という常に太陽の位地に気を配る仕事からこの事実に気づき、それに興味をもった当時のNHKディレクター水谷慶一氏がさらに突き詰めて調査し、昭和55年の建国記念日に「知られざる古代~謎の北緯34度32分を行く」として放送されました。
この国が日本と名乗り、日の丸を掲げるに至るのは、日を祀り日を追いつづけた遠い昔の魂が残っていたからに違いありません。
舞台を堀坂山に戻します。堀坂山も古くから霊山として崇められ、山頂付近には大日如来が真東に向けて祀られています。大日如来は神仏習合ではアマテラスの本地仏となっており、太陽を仏像の姿としたものです。
春分の日は頑張って堀坂山に登ろうか、横着して下から拝もうか、思案中です…
2018.3.1