香肌文庫 第110回 夢は叶えてから努力する
郷里へ帰り、最初に出かけた場所は弘法大師空海が開いた密教の聖地高野山です。高野山へ行くには大阪方面から行くのが一般的ですが、三重県からは和歌山街道(R166)を進みます。
香肌治療院の名前の元になった香肌峡の渓谷に沿って車を走らせ、長いトンネルを抜けると桜で有名な吉野の里に出ます。そこから吉野川に沿って進み、山中に入ってグルグルと峠道を登り続け、ほとほとうんざりする頃に突然目の前が開け天空の聖地が現れます。
ところで密教って聞くと秘密とか神秘的な響きがあり非常に謎めかしい世界を感じますが、密教っていったいどんな世界なのでしょうか?
まず仏教は大きく顕教と密教に分けることができるのですが、顕教と密教は漢方薬と鍼灸に置き換えることができます。漢方薬は根本である五臓六腑を整えることによって経絡の流れが順調となり元気となる療法ですが、これが顕教です。反対に鍼灸は最初に経絡の流れを順調にして元気になり、五臓六腑の働きを助けてあげる療法です。これが密教です。つまり顕教とは厳しい修行、自己鍛錬をすることによっていつか仏の境地に至ろうとするものです。一般的にはこちらの方に仏教らしさを感じる人が多いでしょう。しかしそうは言っても我々はそんな簡単にお釈迦様のようには成れません。そこで登場するのが密教です。密教は表から入る鍼灸と同じで、最初に仏に成ってしまうのです。もちろん密教でも厳しい修行がありますが、それは仏に変身するためなのです。難しい印を結んだり謎めいた儀式をするのも自身が大日如来や不動明王に化す秘法なのです。
如来や明王に成れば超人ですから衆生が救えます。そこで私達の願いを叶える護摩業をしてくれるのです。
密教は絶対不可能と思われる事を可能にする方法を示唆しています。
イチローのようになりたいのなら地道に練習を重ねていき、「いつかはイチロー」という顕教的手段もありますが、最初からものまねでもいいからイチローに成りきってしまい、「俺はイチローだからこうあるべきだ」「イチローだからこんな苦労屁でもないさ」といった具合に自身を成長させていく密教的方法もあるのです。
私達日本人はコツコツと地味な努力を重ね「小を積んで大と成す」ことこそ正道としますが、しかし実際に夢を叶える人は無意識に「大と成って小を積む」という「密教的な心意気」で努力をしているものです。
もっと身近な例ではマイホームが欲しくても金がないのならまず家を持ってしまうというローン制度だって密教的です。
高野山の帰りに麓にある丹生都比売姫神社へ参拝しました。ここは1700年以上の歴史があり、古代に水銀採掘に携わった丹生一族の氏神を祭る社で高野山とも非常に深い関係にあるそうです。また御祭神の丹生都比売姫は天照大神の妹と伝えられています。
難しい歴史はさておき、私が参拝したかった理由はここが香肌治療院のあった習志野市谷津の地域神、丹生神社の総本社だからです。これまでの感謝と新しい出発を祈願して参りました。
第110回香肌文庫 2015.4.1